​第二章 十四杯目

第二章
十四杯目 穀雨の頃と珈琲
「それでは新入生歓迎会の日程とプログラムは配ったプリントの通りです。各自、よく目を通して置くようにして下さい。それではこれでLHR(ロングホームルーム)を終了します」
学校に来た頃は、まだ残っていた淡いピンク色の花もすっかり散り、代わりに活き活きとした新緑の芽が伸びた枝の隙間からその姿を見せ始めた4月下旬、武達のクラスに、ホームルームの終了を告げる武の声と決議した議案に賛同する拍手の音が鳴り響いた――。
4時間目の授業を終え、昼休みを迎えた『菊陽高校』
授業終了を注げるチャイムが鳴り出すと、その音が鳴り終わるのを待たずにぞろぞろと生徒達が教室の前後のドアから溢れ出す。
「武君カフアちゃん、私今日は購買部でパン買ってくから先に行ってて~」
教卓に広げられた書類をまとめる武と、前の時間に使った黒板を綺麗に拭き上げるカフア。
2人のクラス委員に、教室を後にする生徒の波に混じりながら告げるのはセラードだ。
こくんと首をかしげて告げるセラードの肩にふわりと桜色の髪が揺れる。
「ああ、分かった」
「じゃ、またあとでねー」
首だけを回して頷くカフアと武の姿を確認してセラードは購買部へと駆け出した。
「よし、んじゃ仕事も片付いた事だし、オレ達も行こうか」
既に生徒の姿もまばらになった昼休みの教室でそう口にする武と隣に並ぶカフアの手にも大きさは違えどそれぞれのお弁当箱が握られている。
セラードが向かったのとは逆の方向、屋上へと向かって2人は歩き出す。
「しっかしあっという間だったなーこの二週間」
窓の外、すっかりその花を落としてしまった桜に目をやりながら武が呟く。
「そうだね、武が来たあの日は、まさかのトラブル続きで!今でも夢だったのかなーって思うんだけど…」
「夢じゃ…ないんだよな」
カフアの言葉を受け継ぐように武がそう繋いだ。
「でもあれ以来、入れ替わってないよね、私たち」
「…そんなにしょっちゅう入れ替わってたら恐ろしいだろ?っていうか、こういう事がリアルに起こりうるっていうので十分驚いたけど」
武の言葉に確かにと頷きながらもカフアはどこか納得がいかないような表情を浮かべている。
「そりゃそうだけど。でも…原因は“多分ケータイが同時に鳴った事だろう”って…そんなハッキリしないのも気持ち悪いじゃない?大体同じサイトに登録してれば同時配信で送られて来るメールが届くタイミングだって皆一緒なわけだし、そんな時にちょっと触っただけで入れ替わってたら私たちだけじゃなく色んな所で入れ替わりが起こってるはずでしょう?あまりに納得行かないわ。それに第一、私はトイレに入る為とはいえ武に嫁入り前の大事な体見られたのよ!」
「嫁入り前って…だいたいそれはお互いさ…」
そこまで言ったもののじろりとカフアににらまれた武は言葉の続きを口にするのを止めて慌てて肩をすくめる。
武にとっては菊陽高校に転校した初日、入学式からいるカフアに取っては入学から1週間目となったあの日、武とカフアは互いの体が入れ替わってしまうという経験をした。
入れ替わった体はその日の内に元に戻ったものの、未だその現象の原因と思われるものは“ケータイが同時に鳴ってその時に互いの体が触れ合っていた事”としか分かっていない。けれどそんな場面決してめずらしい事でないし、もしそれが本当に原因であったとするならば、武とカフア意外にも同じような場面に遭遇する人間はたくさんいるだろう。きっとケータイが同時に鳴る事意外にも入れ替わりの引き金になった何かのきっかけがあるはずなのだ。
とはいえ、あれ以来毎日同じ生活を送っているつもりなのだが、2人の身に入れ替わりは起こっていない。
元に戻れなかったらという不安がある以上、お試し感覚でケータイが同時に鳴る瞬間に互いに触れてみようとあえてする気にもならないし、結局の所原因がはっきりしないままというのが現在の状況だった。
ケータイが同時に鳴った事の他に、あの日だけに起こった何か特別な事があったのだろうか?
何度も思い出してみたその日の光景を、もう一度丁寧に頭の中に思い描きながら歩いているうちに、武は目的場所へと着いてしまっていた。
「遅い」
雲ひとつない青空が広がった屋上、ここちよく吹き抜ける春風に無造作に散らした黒髪を揺らしてぶっきらぼうに告げる声。
その声の主である少女の隣には風に遊ばれる柔らかい淡い紫の髪をそっと抑えて微笑むもう一人の少女の姿もある。
「スーリー、それにリントンも!早かったね」
2人の名を呼んでカフアは早速自分も2人の隣に腰を降ろした。
転校初日、何気なくランチを共にしたメンバーだったスワーナとリントン。
しかしいつの間にか、一緒にランチを食べる仲になっていた。
基本、昼食はパンで済ませるスワーナと違って、リントンは食堂でのランチが常だったが、あの日以来食堂でのランチは止めてしまったらしい。
自宅で雇っているシェフに母親を通して頼み、弁当を作ってもらうことにしたのだと武に教えてくれたのは―どこからそんな情報を仕入れているのか―皆のムードメーカーたる存在のセラードだった。
バランスを考えて用意してくれているという彼女の弁当はボリューム重視の武の弁当とも、年頃の女子高生らしさが見える可愛らしいカフアの弁当とも違い、色鮮やかな食材がまるで宝石箱の中身のように並んだ煌びやかな物。
無意識に釘付けになっていた武の視線に気づいたのか、リントンは恥ずかしそうに少しだけ弁当の蓋をずらして中身を隠そうとする。
そんな姿にはっと申し訳なさを覚えながら武は視線を逸らした。
リントンの父親は世界屈指の穀物商社をやっているのだと、これもまたセラード情報で教えられたのはつい先日の事。
外資系の飲料メーカーに勤務する武の父親もまた、飲み物の原材料を輸入したりする事業にも携わっているので、その関係かリントンの家とは父親同士のつながりがあり、武たち自身も小さい頃に遊んだ仲なのだそうだが、海外での生活が長かったせいか正直武の中でその辺の記憶は曖昧だった。
ただ、リントンに会い思い出したのは今よりずっと小さいリントンがよく似合う白いワンピース姿で自分の前に現れた日の事。
今目の前にいるリントンもそんな記憶の中の彼女と大きく変わった所はないような気がする。
大人しくて引っ込み思案で、自分からあまり話に加わる方ではないが、それでもカフア達と話している時のリントンの姿は活き活きとしていてふわりとほころぶ笑顔はカフア達と同じごくごく普通の女子高生のそれだ。
それに最初は緊張した様子もあったものの、だいぶ慣れてきたのだろう、武にもよく声を掛けてくれるようになった。
人見知りの彼女の性格から考えれば大きな進歩だ。
「おっ待たせ~♪皆もう食べてる~?」
武達が各々弁当を開き始めた所にぱたぱたと軽い足取りで駆け込んで来たのは先程購買部へと向かったセラードだった。
「あっ今日はスーリーコンビニパンなんだね!どうりで購買部で見かけないと思った!」
戦利品である購買部のパンを袋から引っ張り出しながらセラードは人懐っこい笑みを皆に向ける。
本人は無自覚ながらこの天真爛漫で無防備な笑顔のおかげで入学式からまだ日の浅いこの頃でも、既に彼女は男子からの支持が熱い。
かといって、女子を敵に回すような性格でもなく、むしろこの可愛い純粋無垢な少女に悪い狼がつかないかと見守る女子が多いくらいだ。
中でも特に目を光らせているのが実はスワーナだったりする。
そのスワーナはといえばセラードの言葉通り、通学途中で買ったのだろう、コンビニで調達したらしい惣菜パンに早々にかぶりついている。
ダイナミックな食べ方だが、これでいて彼女もクールビューティーと呼ばれる綺麗な顔立ちをしている。
とっつきにくそうなオーラを出しているが、仲良くなれば以外に友達思いで情に厚い一面もあるのだと、武が知ったのもつい最近の事だった。
但し、熱心になる事については話が別らしく、それはカフアと入れ替わった時に武自身が自分で体験した事だ。
大好きな音楽について語る時のスワーナは何かのスイッチが入ったように熱くなる。
カフアの歌声に惚れ込んでいるスワーナは軽音部に見学に行った際、ぜひ入部して欲しいとカフア―といってもこの時はカフアと入れ替わっていた武だったのだが―に懇願する姿も見られた。
そんなスワーナの姿に好きな事に関しては、普段のクールビューティーとはむしろ正反対の熱い気持ちの持ち主でもあるんだなと武は思ったのだった。


ToBeContinued…